久しぶりに高校の同級生と呑んだ。
昔話に花を咲かせ、最近どうよ、という話。
仕事も、趣味も、家族も、そういえばあいつどうしてるという話、呑みに行く店の話、そして終活の話になる。
もし自分の人生があと10年だとしたら何がしたいか、なんて話をする。
音も気配もなく死は近づいていることをただ感ぜずにはいられない年齢になったことを、不意に実感する瞬間。
それは自分自身への問いでもある。
明日には終わるかもしれないし終わらないかもしれない、あと10年かもしれないし、15年かもしれないけれど、50年ではないだろう。
その限られた時間の中で、何をしたいのか。
本当にやりたいことの優先順位は何か。
会っておきたい人はいないか、やり残したことは無いか。
だがそれは年齢は関係なくて、いつだってそうだったのに、そうは思っていなかったという事なのだ。
いつでも本当に大切なことは忘れている。
だが一瞬一瞬を絶えずそんな風に生きていたら、意味の重さに耐えられない気がする。
意味の重さに耐えられないから、毎日をくだらなく、気づかないふりをしていくことに決めたような気がするけれど、そのこと自体も忘れてしまっているのだろう。
ただ、懐かしい人と再会して呑みに行くことは、楽しいことだ。
ただそれだけで良いじゃないか、とも思っている自分がいる。
くだらなく、ただ無為に暮らしていく、そんな話を大学生の頃にも友人としてたっけ、そんな気もしてくる。