日々のぼんやり

何か書いてみる。書いてから考える。

自我と進化: 未来のAI社会

最近、様々なことがあったけれど、実際はそんなに大したこともないような気もする。

時系列に書いてもしようがないし、事細かに説明したいことでもないし、それに詳しく書いてしまうと差し障りもありそうだと思ってしまう。

だからと言って、どこにも吐き出さずにいるのは、あまり精神衛生上よろしく無いので、書き始めてみる。

そんなに親しいわけでもないが、ほぼ同年代の同僚がメンタルで休んでいるのを人づてに聞いてはいたのだけれど、その方(年上なのでね)から連絡がきた。

その方にとって、相談し易い人間だと、たぶん思われている。

相談内容はともかく、自分のパブリックイメージってどうなんだろうか。

言葉にすると自意識過剰のティーンエイジャーのようだが、実際、微かな違和感がある。

なぜ相談されるのだろうか。

若い頃は全く相談なんてされなかったし、人の噂から遠い所で、霞でも食っているかのように暮らしていた。

同期の人間関係や恋愛事情、退職予定など、差し迫った頃や事後に知ったものだった。

実際のところ、苦手だし、親身になれる自信もないし、適切なアドバイスを与えられるとも思えなかったので、まぁ、そういうものだと思っていた。

ところがたまに相談をされることがある。

ここ10年ぐらいで数件といった、交通事故よりは頻度が高いけれど、傘を忘れた日に雨に降られるより確率は低い。

なので相談されることに違和感が拭えない。

相談してくる相手が女性ではないので、基本的な属性は変わっていないのだろう。

たぶん相談しがいのない人なんだと思うし、自分でもそう思う。

ちょっと前に、AIに相談して自殺をしちゃったというニュースがあったけれど、既にAIに負けているような気がする。

これがシンギュラリティってやつだろうか。

果たしてAIより優れているものが、まだ自分には残っているだろうか、とも考えるが、本当にどうでもいいと思っているので真面目に考える気にもならない。

物事はできる人がやればいいし、人間がやらなくても機械ができるんだったら機械に任せちゃった方が間違いがないんじゃないだろうか。

そう思うと、人間としての良心との葛藤という戦争映画のテーマは、もう昔話の中にしか描くことはできなくなるだろう。

たぶん相手を絶滅するまで徹底的に破壊することは、機械の方が上手くやる。

近未来の世界を描く物語は、優れたAIと間違いのない機械に依って、秩序が保たれたクリーンな世界で、人間のバグを笑うスラップスティックになっていくのではないかな。

10年後にこの文章を思い出して、自分を笑うかもしれない。

 

(タイトルはAIに考えてもらった)