日々のぼんやり

何か書いてみる。書いてから考える。

話せばわかる

コミュニケーション不足をけたたましく騒いでいるけれど、話せばわかる、という考えは、昔観た刑事ドラマで追い詰められた犯人が逆上するのを、ベテラン刑事がなんとか諌めようとするシーンを連想させる。

本当はお前と話す気はないけれど、話をしたらお前のこと分かってやれるかもしれないから、いったん武器を捨てて話をしてみようじゃないか、っていう手練手管な説得のシーンである。

そこには理解可能であることを前提とした上から目線のアプローチが見え隠れしている。

しかし人格のある人間とのチャットは炎上をよび、人格のないAIとのチャットは自省を促すことで、話すことの無意味さは暴かれてしまった。

話して分かるのは他者ではなく自分なのだ。