日々のぼんやり

何か書いてみる。書いてから考える。

ここではない

ここではない、という感じ。

いつもではないけれど、昔から時々やってくる。

居心地の悪さ、というか、今ここにいることへの違和感のようなものは、もういい加減に諦めたほうがいいのかもしれない。

だが、何を諦めるというのか?

今ここに対する違和感とは、つまり何に期待をしているのか、一体どんなところでどんな時間を過ごしていることを期待しているのか、という問いになる。

その問いに対する答えは、今ここではない、いつかどこかのイメージに収斂し、それを志向することが違和感の解決だと考えることもできる。

目標があれば頑張れるというが、違和感を反転して目標にすり変えたところで、目標の達成にはなったとしても、違和感の解決にはならないだろう、と思っている。

では、違和感そのものを違和感のままにして、解決を放棄すれば良いのだろうか。

今ここに至る因果関係を洗い出して、分岐点のたらればを追求すれば、違和感は解消するのだろうか。

たぶんこの違和感の追求は、イデオロギーや教条がつけ込む隙で、主義や宗旨の闇に繋がっているのだろう。

そんな事を考えて雨の中を歩いている。