特別お題「今だから話せること」
大学生の頃の話。
わりと貧乏な家庭に育った。
子供の頃、父が急逝し、母子家庭だったから、母には感謝しかない。
当然のように、高校生の頃から奨学金をもらい、大学も奨学金で通った。
本当は、国立か公立に進学するべきだったのだが合格せず、浪人するよりは、と私立に行った。
時代的にはバブルの頃で、大学生というものは遊ぶものだという雰囲気があった。
登校したら、教室よりもサークルに顔を出し、授業は誰かに代返を頼んで、別の友達と遊びに行く、そんな奴もちらほらいた。
一応、クラスというものがあり、体育で顔を合わすけれど、ほかの授業では合わない奴も沢山いたし、試験の時にこの授業取っていたのか、という奴もいる。
もちろん、自分の目標に向かって、真面目に授業とバイトをこなして、合間に遊んでいる、という奴もいる。
どう過ごすのか、何をするのか、全てが中学や高校と違って自由だった。
いったん就職の頃に時間を進める。
就職時の集団面接で
「どんな学生だった?」
と聞かれ、
「授業はもちろんですが、アルバイトやサークル活動で人脈を増やしていました」
「学生時代にしかできないことをやろうと考えて、アルバイトと旅行をしていました」
そんな風に答える奴も何人もいる、そんな感じだった。
でも、自分は奨学金を貰いながら学校に通った。
借金を背負いながら学校に通うとはどういうことか、などと、真面目に考えたことはなかったが、授業に出ないでバイトや遊んでいるのはちょっと違和感があった。
だから、興味がある授業は出れる限り取った。
取るからには出席し、落とさず履修した。
金を払っているのに、授業を受けない、履修できない、ということはあり得なくて、払ったお金以上のことは学びたいと思っていたと思う。
やりたいことは、全然見えていなかったから、興味に従って専門だけじゃなくて別の分野にも手を出した。
今にして思えば、もっといろんな分野の授業を受けたかったなと思う。
極論だけれども、留年してでも、学んでも良かったんじゃないかと思う。
学生時代のことを訊かれて
「遊んでばかりで全然勉強してなかったですね」
ということもあるが、それは嘘だ。
照れ隠しの面もあるし、周りはそんな友達も多かったし、そう言っといたほうが無難だろうと思うこともある。
試験前に、
「勉強した?」
と聞かれたら、嘘でも
「全然やってないよ」
と答えるのが、友達付き合いのセオリーであるのと同じだ。
最近はどうだか知らないけれど、とりあえず勉強してないふりはしておいた方が無難だろうけれども、お金を払っているのだからそれ以上に学んだ方が良いし、どんだけ学んでも十分ということは無いと思っている。
それは、目標に向かって合目的的に学んで社会に出ていくのも良いだろうし、自分みたいに手当たり次第に手を出しても良いんじゃないだろうか。
あれからだいぶ時間が経ってしまったけれど、その後の人生は想像していた以上に時間は無いし、学ぶことに集中的に時間が割けたのは、やっぱり大学生の頃だったな、と思っている。
授業内容はほとんど忘れてしまったけれど、そこで考えたこと、取り組んだことというのは、何となく基礎になっているような気がしている。
大人の言うことなんか話半分で良いと思っていたあの頃の自分には、もっと素直に授業を受けておくと、もっと良いことがあると思うぞ、と伝えたいなと思っている。