日々のぼんやり

何か書いてみる。書いてから考える。

悪癖

無くて七癖、とか言うけれど、人それぞれの癖を挙げていったら切りがない。

個人的な癖は勝手にやっとけ、ってことで良いと思うんだけど、集団で培ってる癖は始末が悪い。

人は自分の癖に気がつかないものだが、集団になってもそれは変わらず、当たり前のように繰り返しているメンバー、居心地の悪さを感じながらも従っているメンバー、理不尽さを感じて腹を立てているメンバー、そんなモザイク状態でも癖は止められなくなっている、なんてことを想像している。

様々なレベルの集団があって、様々な癖が渦巻いていて、そんな波をうまく乗りこなした奴が出世していったり、目立っていったりするのかもしれない。

なんてことを思っている時点で、そんな癖には違和感を感じている自分がいる。

例えば、一生学びだとか、リスキリングだとか、いう言葉でも表されてきている成長神話がある。

口当たりの良い言葉で言いかえているけれど、要するに絶えず自分を更新し続けて、右肩上がりに自己実現をするということが言いたいのだろうけれど、じゃあ今までは何だったんだよ、そんなに積み上げて世界の偉人でも目指せってことですか、って毒づきたくもなる。

成長だとか、自己実現なんてのは、方便の一つで、今までのは無しね、ハイ次行ってみよう、ってことでしかないんじゃないかと思う。

だけど、成長だとか自己実現だとかいう言葉で言いかえる癖がやめられないんだと思う。

また、数値化するのも悪い癖じゃないだろうか。

この前、新人のOJTをしている若手の電話が聞こえていたけれど、午前中何をしていた、成果はどれくらい、効率はどう、と自分が新人の頃は聞かれなかった感じで、仕事の内容を詰められていた。

秘密警察の尋問じゃあるまいし、がたがた細かいことを五月蠅いなぁ、と思って聞くとはなしに感想を持ったけれど、仕事の過程を数値化することで、仕事のやり方が上手くなったり、効率が上がったりする、って思う数値化信仰も、やめられない悪癖のひとつなんだろう。

そんな悪癖に囲まれて暮らすのは息苦しくて堪らないから、仕事の帰り道は酒が飲みたくなってしまう。

小一時間、酒を呑んでぼーっとして、ちょっとふらつきながら電車に揺られて、たぶんこれも他の人から見たら悪癖の一つなんだろうけれど。